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最高裁判所第二小法廷 昭和52年(行ツ)25号 判決

京都府宇治市神明宮西五番地

上告人

森伊三男

右訴訟代理人弁護士

田邊照雄

京都府宇治市大久保町北ノ山一六番地の一

被上告人

宇治税務署長 竹中裕

右当時者間の大阪高等裁判所昭和四九年(行コ)第一〇号所得税更正決定取消請求事件について、同裁判所が昭和五一年一一月一一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人田邊照雄の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本林譲 裁判官 岡原昌男 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊 裁判官 栗本一夫)

(昭和五二年(行ツ)第二五号 上告人 森伊三男)

上告代理人田邊照雄の上告理由

上告理由第一点

原判決は、事実の認定について理由不備があり、かつ経験則に違背している。

原判決は、本件の争点となった上告人及び訴外森惣一共有の宇治市神明石塚五四番地の七以下の土地(以下本件土地という)が、上告人の事業用資産に該当するか否かの認定につき、本件土地は昭和二三年訴外高谷政治郎外八名が入植して開墾し、茶園・菜園等として耕作し農地化していたが、地味乏しく、入植者の中には昭和三七年頃から耕作を放棄した者もあり、荒地化していたが、上告人は、昭和四二年三月九日成立の調停調書(乙第一号証)による明渡をうけた直後、昭和四二年四月及び、五月に本件土地を他に譲渡したという事実を認定し、本件土地の一部を、上告人が現実に農業用地として使用していたという上告人の主張をしりぞけ、本件土地が事業用資産でなかったことは明白であるとした。

この事実認定は、第一審判決が、上告人が本件土地の一部を昭和三七年末ごろから昭和四〇年末ごろまで農業用地として使用していたと認定しているのに比して、上告人の主張からみると大巾に後退したものである。

かように原判決の事実認定が大巾に後退したのは、

(一) 第一審判決が採用していない乙第一号証調停調書、乙第二号証乃至乙第一〇号証高谷政次郎外入植者あるいは入植者の親族の大阪国税局の照会に対する回答書、乙第一二号証入植者山本幸助・第一三号証同田和喜太郎の意見聴取書、乙第一四号証・同第一六号証湊タマの質問応答書及び、質問てん末書、乙第一九号証・第二〇号証山本幸助及び、青山善一の各証人調書を採用したこと。

(二) 上告人の主張にそう第一審証人小西佐太郎の証言、上告人本人尋問における陳述、を、(一)の各証拠及び、甲第六号証の一乃至六登記簿謄本、乙第一八号証判決原本及び、第二審証人平野勝一の証言と対比して採用できないとしたことの二つの理由による。

しかし、原判決自身が認定している通り、本件土地は昭和三七年ごろから入植者の中に耕作を放棄するものがあり、荒地化していたという事実に照し、乙第二号証乃至乙第一〇号証、乙第一二号証、乙第一三号証、乙第一四号証、乙第一六号証、乙第一九号証、乙第二〇号証等、入植者らの供述を内容とする証拠は全面的には信用しがたいものであることは明かである。蓋しこれら入植者らの言うところを信ずれば、本件土地は昭和四二年乙第一号証調停調書により、本件土地が上告人らに明渡されるまで、入植者らによって耕作されていたことになり、荒地となっていたという事実に反すること明かだからである。その余の証拠についてみても、乙第一号証調停調書で明渡期限が明記されていることは右調停成立の昭和四二年四月当時入植者の一部が本件土地の一部を依然耕作していた事実があり、又、昭和三二年以来本件土地の明渡をめぐっての紛争に終止符をうつための調停であるから、明渡期限を定めることは、当時その一部の占有を上告人らがなしていたとしても、当然のことであるし乙第一八号証判決原本も、昭和三二年入植者らに明渡を請求した訴訟で、当時本件土地を入植者らが占有していた事実は争いのない事実として、昭和四〇年の判決に至ったもので、判決時までその主張のままで推移したものであって、上告人らの本件土地一部の使用を否定するには足りない。更に、甲第六号証の一乃至六は、登記簿謄本であり、本件土地の使用関係を明かにするものではない。証人平野勝一の証言は、証人小西佐太郎、上告人の第一審における供述が本件土地の一部を上告人より小西佐太郎・平野勝一の両人に依頼して開墾してもらったというのに対し、自分は開墾の依頼をうけていないし、開墾したこともないという限りで喰違いがあることは明かであるが、開墾の時期は昭和三七・八年当時のことで、右三者が法廷で供述した時点より十数年経過しているのであるから、そのいずれかゞ記憶に誤りをきたしたものであり、むしろ右三者間で偽証等の作為がなされたものでないことがくみとれるものである。そうして、証人平野勝一は、上告人が本件土地の一部を農耕していた事実を目撃したことを明確に証言しているのであるから、同証人の証言をもって、本件土地の一部を上告人が耕作していたとする上告及び、証人小西佐太郎の供述を否定する根拠とすることは矛盾であり、理由不備である。更に、本件土地が入植者らの耕作の中止によって荒地化してきた以上、その所有権を主張する上告人らが耕作しはじめることは当然のことであり、その事実を証する証拠もととのっている。更に入植者らの立退料が極めて少額であったという客観的事実もそれを裏付ける。従って上告人の本件土地耕作の事実を認めなかった原判決は、事実認定について与えられた職権の範囲をはずれ、経験則違背の違法をおかしているものである。

上告理由第二点

原判決は事実の認定にあたり、証人森惣一の証言を全く無視している。同証人の証言は、本件土地を上告人が耕作の用に供していたか否かについて重大であり、その証言を審理の対象としなかったことは審理不尽である。

以上

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